
今朝の京都新聞に昨日1.17の「阪神淡路大震災30年」の記事が一面トップに掲載されていた。もう30年も経ったのか、30年も前の事だったのか、と年月の経過を感じる。
大阪本社勤務時代の同じ課にその直下地震に遭遇した課員がいた。東灘区の彼のマンションは倒壊は免れたが倒壊危険建物として住めなくなり被災者に。彼は避難所の小学校で数日間過ごした後、会社の貝塚工場近くの独身寮に空きがあったので、そこへ引っ越して避難。約ひと月間その寮から会社に通っていた。
家屋倒壊や火災で6000人超の死者を出した阪神地区の被害は大きく、阪神間の三つの鉄道のJR ,阪急、阪神はなかなか復旧せず鉄道網が寸断された状態が何日も続く。地震発生後20日ほど経ち、少しづつ復旧してきた鉄道の阪神電車がまず青木駅まで運転可能になった時、被災者の課員と二人で彼が住んでいたマンションの状態を見に行くことになった。阪神電車が武庫川を越える辺りから見える光景は家々の屋根に掛けられたブルーシートの数々。開通している終点青木駅で下車し、彼のマンションはJR本山駅近くなので山側に歩いた。まわりは倒壊家屋が多数。特に二階建て家屋の一階部分が押しつぶされた住宅が多かった。家屋倒壊の被害は阪神ーJR間がひどく、JRから山手へ行くほど被害は少ない。彼が住んでいた賃貸マンションはJR本山駅すぐ山側だったが、大きな亀裂が数か所あり居住不可建物になっていた・・・。JR本山駅の山側が阪急岡本駅であるが、JRも阪急もここまで復旧していなかったので、帰りはまた阪神青木駅に戻り大阪へ引き返した。
(写真は今朝の京都新聞と、ネットから取った倒壊家屋、ブルーシートの屋根風景)