
昨日、東日本大震災・津波・原発事故から14年。今朝の京都新聞によると東北地方の被災地各地では慰霊の式典が行われた(写真)。震度7の地震、津波が東北の太平洋岸地域に大きな被害をもたらせた。
14年前の当日、私は滋賀病院から透析患者さん二名の送迎中であった。東京にいた娘からは都内がパニック状態で交通難民が溢れ自宅に帰れず、会社に泊るとメールしてきた。その当時の「環境と福祉の家」ブログを次に抜粋・・・
東北沖で観測史上最大のM8.8地震発生
2011年03月12日
昨日の午後2時46分頃東北地方東海岸沖でM8.8の巨大地震が起きた。送迎ボランティアのこの日最後の透析患者さん二人に乗ってもらい、滋賀病院から国道1号線を逢坂山の手前まで走り、ここで1号線を出て浜大津へのゆるやかな坂を下った・・・・。車中のラジオは小さい音で国会中継を流していたが、急に地震発生のニュースに変わった。小さい音で『震度7』と聞き取れたので、驚いてラジオの音量を上げた。東北地方に震度7の地震が発生し、東北各県各市の震度を報じていたが、まもなく津波注意報に変り、午後3時にはどこどこに何m、3時過ぎにはどこどこにに何mとかで注意して下さいと繰り返し放送された・・・・・。
比叡平の「環境と福祉の家」に戻って、地震は遠い東北地方という意識から、先日Yさんから戴いたビオラ6苗をビニール温室に入れて育てているが、そのビオラに水遣りをしている時、東京の娘から携帯メールが入った。「職場はパニックだったが、大丈夫です」と知らせてきた。東北地方の地震と思っていたのが、東京都心でも震度5だったらしい・・・・。夜、京都の自宅でTVを見ると大都市東京の交通がすべてストップし、自宅へ帰れない交通難民が溢れ、娘も職場に泊まることになったと言って来た。
地震発生後、TVはどのチャンネルもすべて地震の報道になり、今日、発生から一日経過して今回の巨大地震の全貌が明らかになってきている。死者、行方不明者合わせて1000人超、津波で壊滅的被害をうけた町、今回の地震は岩手、宮城、福島各県の海岸沿いに広範囲に津波の大被害をもたらせている。日本でこんな津波の大被害は初めてであった。家を流された人、避難生活の人が報道されると心が痛む。そして今日になって福島県の原発施設の爆発、放射能もれが新たに大きな問題を引き起こしている。